風に揺らぐ白百合
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一般的な高校に比べ、遥かに広大な敷地を持つ私立秋桐(あきぎり)学園。 その敷地の西の隅に、近代的な設備を持つこの学校には不釣合いとも思える木造の小屋があった。 現在は倉庫として使われているのだが元が何の為の施設なのかは不明だ。 生徒の間では様々な噂が囁かれているが、今となっては最早知る術はない。 そして今、この謎の小屋の前に立つ少女が一人。 学校指定のブレザーとスニーカーに身を包み、鮮やかな赤い髪をツインテールにしている。 腕時計に目をやったり、きょろきょろと辺りを見回しているところからすると、人を待っているのだろう。 そうして待つこと十数分。彼女と同じ制服を着た蒼髪の少女――彼女よりは僅かだが年上に見える――が駆け寄って来るのが見えた。 待ち人の姿を目にした途端、ぱっと表情の明るくなる少女。と同時に待ち人に向かって叫ぶ。 「久留美(くるみ)先輩、ここだよー!」 待ち人――久留美――は少女のところにやって来ると、開口一番、 「ごめんね、詩菜(しいな)ちゃん。今週は私の班が掃除当番でしたから……」 深々と頭を下げて謝罪をしてしまう。肩で息をしているところから察すると、掃除が終わると同時に走ってきたのだろう。 それを悟ってか久留美を慰める詩菜。 「そんなこと気にしないでいいのに。先輩って真面目も度が過ぎるよ」 あたしと先輩の仲でしょう、と付け加える。 口ではそう言っているが、実際には詩菜は久留美の真面目でありながら同時におっとりしているところを気に入っている。 「そうでしたね。でも、『親しき仲にも礼儀あり』です」 なるほど確かにその通りだと詩菜は心の中で頷くのだが、あまりに丁寧に謝罪されると、却って自分の方が罪悪感に苛まれてしまう。 どうにも居心地が悪いこの状況から抜け出す為、多少なりとも強引に本題の方へと話を切り替えようと試みる。 「ところで、今日ここに先輩を呼んだのは、荷物運びを手伝ってほしいからなの」 「荷物運び?」 訊き返す久留美。 「うん。文化祭の模擬店で使うテーブルをこの小屋から取ってくることになったんだけど、学級委員だからということであたしが任されちゃったの」 「それは大変……」 久留美が言うとあまり大変そうに聞こえないのは気のせいだろうか。 「でも一人だと運ぶのが大変そうに思えて……。そこで先輩に協力してもらおうと思って、先輩を呼んだんだよ」 彼女は嘘は言っていない。言っていないのだが、同時に全ての事実を話したという訳ではなかった。 実はそれは彼女の目的の半分に過ぎなかったのである。 詩菜には協力者に久留美を選んだもう一つの、そして最大の理由があったのだ。 「大丈夫。私が居れば百人力」 一方の久留美はと言うと、無い力瘤を作って何かを呟いている。 やはり素直にクラスの力自慢の男子を呼んだほうが良かったのではないだろうか。 詩菜の心にそんな不安が込み上げて来た。 詩菜が担任から預かった鍵で小屋の扉を開け、二人揃って中に入る。 小屋の中は一般的な日本家屋のそれに酷似しており、玄関の先には板張りの細い廊下が伸びていた。 もっとも、倉庫として使われて久しいのか、お世辞にも綺麗とは言い難い状態だ。 「テーブルは奥の部屋にあるはずだよ」 詩菜はそう言うと、土間から板張りの床にぴょんと飛び乗る。 「ちょっと待って!」 詩菜が着地するのとほぼ同時に久留美が呼び止めた。 「どうしたの、先輩?」 首を傾げ、一段高い位置から久留美を見下ろす詩菜。 とは言うものの、実はここまでの流れは全て詩菜の計算通りである。目的の『もう半分』を果たす為の……。 「詩菜ちゃん、靴履いたまま上がったら駄目」 予想通りの言葉。 そう、今詩菜は普段通学時に履いているスニーカーのまま、玄関に上がっているのだ。 真面目な久留美ならそう言ってくることは想像に難くない。 当然ながら次に返すべき言葉も考えてある。 「でもここって長い間倉庫として使われてるから汚いよ。ほら、床も埃だらけ」 そう言いながら、土間にいる久留美から見える位置の床を歩き回ってみる。 埃が積もっていた為だろう。床の上には詩菜の靴跡がはっきりと残っていた。 この埃まみれの床を見せれば、久留美先輩は確実に、戸惑いつつも靴を履いたまま上がってくるだろう。 詩菜はそう確信していのだが……。 「それでもやはり日本家屋に土足で上がるのは悪い気がします」 現実には、事はそう都合良く運ばなかった。 久留美はそう言って、学校指定のローファーをその場で脱ぎ、紺のハイソックスになって上がってきた。 このままでは先輩を困らせる計画が失敗してしまう! 練り上げた『計画』の破綻を悟った詩菜は咄嗟に知恵を絞り、素早く打開策を練り上げて口にする。 「両手が塞がってたら靴履き難いよ?」 つまりは二人でテーブルを運んで両手が塞がっている時には、靴を履き直すのが困難だから、そのまま上がれということだ。 多少強引過ぎる理由だったかと、詩菜は言ってから少しだけ後悔したのだが。 しかし詩菜は久留美の性格を甘く見ていた。彼女は真面目であると同時に、マイペースかつ天然でもあったのだ。 そんな彼女であるから、当然、その答えも若干ずれたものになってくる。 「難しいのなら頑張ります」 却って逆効果になってしまった。最早打つ手無し。 それを悟った詩菜は仕方が無く、自分だけがスニーカーを履いたままで、久留美を連れて小屋の奥へと進むことにした。 とんとんと軽快な足音を響かせながら板張りの廊下を歩く詩菜。 斜め後ろにはほとんど無音で歩く久留美。 「この小屋って結構広いんだね。ねっ、先輩?」 「うん。ちょっと意外……」 普段まず立ち入ることのない場所ということもあり、二人は物珍しそうにあちこち見回しながら奥に向かっている。 やがて前を歩いていた詩菜がある部屋の前で足を止めた。と思いきや、すぐにたたっと、部屋の隅にある何かに駆け寄る。 「あったあった! これだよ。このテーブルを運び出すの」 どうやら目的のものを見つけたらしい。部屋の前にいる久留美の方を振り返ると、嬉しそうにそう言う。 「詩菜ちゃん、そこ畳……」 本当に靴を履いたまま入っちゃった……。 しばし呆然として、可愛い後輩が畳敷きの和室に土足のままで入っている姿を見つめる久留美。 が、慌てて自分がここに来た目的――詩菜の荷物運びを手伝うこと――を思い出して我に帰ると、自分もその和室へと入っていった。 詩菜が持ってくるように言われたテーブルは計4つ。いずれも彼女の想像上のそれよりかは少しばかり大きかった。 とは言うものの、少女でも二人なら十分に持てそうではある。詩菜が先程感じた不安はその様子を見ると消え去った。 「これを運べばいいの?」 改めて聞き直す久留美。 「そうだよ。あたしは前を持つから、先輩は後ろを持ってくれるかな?」 「うん、分かった」 久留美は頷いて一番手前に置かれているテーブルの後ろに付く。同時に詩菜も同じそれの前に位置取る。 「それでは持ち上げます。準備はいい?」 「うん、いいよ」 1、2の3の掛け声で二人はテーブルを持ち上げた。 そしてゆっくりと部屋を出て、廊下を抜け、玄関へと向かう。 ところがこの玄関。靴を脱いでいない詩菜はともかく、久留美にとっては最大の難所となっているのだ。 テーブルの前側を持っている詩菜が降りきった後、久留美は自分も一旦土間に降りて、そこから靴を履き直そうとするのだが、 両手が塞がっているだけでなく体の動きそのものも制限されている為、思うように足を入れることが出来ない。 「先輩、一旦置いてから履いた方がいいよ!」 「頑張ります」 詩菜はテーブルをこの場に置くことを提案するが、久留美はあくまでこのまま履き直す気だ。 土間に脱いて揃えた自分の靴と格闘する久留美。ところが、間違って靴を蹴ってしまった。 蹴られた靴はころころと土間の隅の方へ転がっていき、焦ってそれを追いかけようとした久留美は、ついテーブルを持っていた手を離してしまう。 「わわわっ、いきなり離さないでよー」 そうすると当然のことながら、全ての重量が詩菜の方へと掛かってくることになる。 彼女一人にそれを支える力が無いことは言うまでもない。 結果、テーブルは鈍く大きな音を立てて地面へと激突した。 「詩菜ちゃん、大丈夫!?」 真っ先に後輩の身を案じた久留美は、テーブルを挟んで向こう側にいる彼女に声を掛ける。 「うん、何とか。先輩も怪我はありません?」 その返事を聞いてほっと胸を撫で下ろす久留美。勿論、自分の無事を伝えることも忘れない。続けて更に一言。 「ごめんね……」 自分の過信が原因で可愛い後輩を危険な目に合わせてしまった。先輩としてこれ以上に罪悪感を抱くことはない。 だが、詩菜は久留美を咎めるようなことは一切しなかった。 首を左右に振ると、笑顔になって応える。 「ううん、気にしないで下さいったら。二人とも無事だったんだから」 でも、と彼女はそう言って続けた。 「やっぱり危ないから、先輩も靴履いた方がいいと思うよ?」 先程と同じ提案。だが今回は主に久留美の心理的な面において状況が異なっていた。 先輩として詩菜に怪我をさせる訳にはいかない。土足で日本家屋に、更には畳敷きの和室に上がるのは気が引けるが、自分のせいで後輩に怪我をさせることは更に許せない。 「そうします。本当にごめんね、詩菜ちゃん」 躊躇うことなくその提案に同意した。再び謝罪の言葉を添えて。 「じゃあ、一先ずこれを運んじゃいましょう。取り合えずは中庭まで持っていけばいいから」 詩菜がそう言うと、二人は再びテーブルの前後に付き、それを運び始めた。 ――こういうのを怪我の功名って言うんだね。怪我はしてないけれど。 途中、詩菜はそんなことを思ったが、久留美にはそのようなことは知る由もない。 その後何事もなく一つ目を運び終えた二人は、残りのテーブルも同様に運び出す為、再び小屋の前へと戻った。 「とは言ったものの、やはり抵抗があります……」 「もう……。あたしだって同じことしてるんだから、気にしなくてもいいのに」 場所は再び小屋の中。詩菜の方は至って普通に廊下を進んでいるが、久留美の方は青い顔をして若干俯きがちになって歩いている。 その理由は説明するまでもないだろうが、ローファーを履いたまま日本家屋のような小屋に上がっていることにある。 根が真面目な久留美には、後輩に怪我をさせない為とは言え、抵抗が残るものらしい。 前回と同様にとんとんと靴音を立てて軽快に歩く詩菜に対し、久留美は爪先立ちの、所謂『忍び歩き』をしていた。 板張りの廊下も勿論のことだが、テーブルの置かれている和室では尚更慎重に、靴底の接地面積を減らそうと必死になっている。 ――久留美先輩の困った顔ってやっぱり可愛い! この瞬間ほど、彼女がここに久留美を呼んだ甲斐があったことを強く感じた時はない。 どこか抜けてはいるが真面目な先輩。そんな彼女が畳に靴を履いたまま上がらざるを得ない状況になったら、どんな顔をするのか。 詩菜の『悪戯』はまさに大成功したのだ。 本来ならここで『悪戯』を止めてもいいのだが、今回は荷物運びという役目も担っている為、そうは行かない。 踏ん張りの効かない忍び歩きでは、重いテーブルを運ぶことなど不可能だからだ。だからこそ告げる。 「でも先輩、その歩き方だとテーブル運べないよ?」 その言葉を耳にするのとほぼ同時に。 「あ……」 久留美は爪先立ちの姿勢のまま、凍り付いてしまった。 やがて観念したのか、ゆっくりと踵を下ろし、足全体を床につける。 「畳の上に土足で立つなんて……。私……悪いことしちゃってます……」 (あはは。先輩ったら困ってる困ってる) 久留美が自らの背徳的行為に対する罪悪感で押し潰されそうになっている一方で、詩菜は完全にその状況を楽しんでいた。 あまり久留美を追い詰めすぎるのは悪いという思いもあるのだが、それでもおろおろとする彼女を見ていると、不思議ともっとからかってやりたい衝動に駆られてしまう。 「いけないことしてる先輩っていうのも可愛いね〜」 ましてや悪戯好きの詩菜のことだ。つい、からかいの言葉が口を突いて出てしまう。実際には本音も半分ほど含まれているのだが。 「さぁさぁ、早くすること済ませちゃおう!」 更に戸惑いの色を強める久留美の様子を伺いつつ、前回と同様にテーブルの前側に立つ詩菜。 久留美はそれを見ると、自分もテーブルの後ろ側へと移動する。ただし硬いローファーで畳に傷を付けぬよう、極力慎重に。 そして、やはり先程と同様に声を出してタイミングを合わせ、テーブルを持ち上げて移動を始める。はずだったが、ここで状況に一つ変化が現れた。 テーブルを持ち上げることによってその重量のおよそ半分が久留美の体重にプラスされ、更に重いものを持ち上げている為に歩き方が自然と摺り足気味になるところまでは先程と変わらないのだが、 久留美は今回、それに加えて底の硬いローファーを履いている。 比較的軟らかい材質の詩菜の靴とは違って、前述の条件が付加されると、歩くたび否応無しに畳の表面を削ることになってしまう。 「うぅ……畳屋さん、ごめんなさい」 その感覚を足裏を通して身に受けている久留美は、しきりに呻き声を上げている。 涙目の先輩も可愛い、と詩菜は思ったが、同時にこれ以上追い詰めるのは流石に可愛そうだとも感じられた。 そこで助け舟を出してやる。 「先輩。部屋から出さえすれば、後は木の床だから大丈夫だよ」 「そう……ですね」 ちょっとした言葉ではあるが、効果覿面。その簡単な事実を人から聞くだけで、心理的にはかなり楽になったらしい。 一刻も早く畳敷きの和室を抜けようと、詩菜を促して進み始める。 「ふぅ……」 畳の和室から板張りの廊下に出て心理的圧迫から解放されたのだろうか、つい手の力を抜いてしまう久留美。 「わぁっ、とと。久留美先輩! いきなり力抜かないでよー!」 詩菜の苦情。それを聞いて我に帰る。 「ごめんめ。安心したらつい……」 「もう! 油断大敵だよ、先輩!!」 ぷぅっと頬を膨らませる詩菜。勿論、本当に怒っているという訳ではなく、冗談交じりだ。 久留美の方も真に受けた様子はなく、むしろ表情豊かな後輩の姿を見て微笑を浮かべている。 そんなやり取りを繰り返しながらテーブルを運ぶ二人。 床が板張りとは言え、当然ながら久留美にとっては抵抗があるようだ。が、それも畳の上に比べると幾分かはましなように見える。 一つ目のテーブルを運んだ時には、久留美が靴を履けなくて手間取る羽目になった玄関も、初めから履いたままでいる今回は特に問題ではない。 小屋から出て、二つ目のテーブルを中庭へと運び出し、また小屋へと戻る。この調子で三つ目、四つ目も順調に運び終えることが出来た。 悪戯好きの詩菜が、土間から廊下へ、廊下から和室へと移動する度に変化する久留美の表情を見て楽しんでいたのは相変わらずであるが。 全てのテーブルを運び終えた後。場所は再び小屋の前に戻る。 「これで戸締りはおっけー、っと。鍵は明日の朝、先生に会った時に返さないとね」 入口を施錠して確認も終えた詩菜は、久留美の方に向き直り、視線を合わせて一礼。と同時に感謝の言葉を送る。 「先輩、今日は本当にありがとうございました」 「どういたしまして」 それに応える形で、こちらは深々とお辞儀をする久留美。 下げた頭をゆっくりと元の位置に戻すまでの時間。 しばしの沈黙。 そして久留美が頭を元の位置にまで上げるのとほぼ同時に。 「そうだ!」 不意に詩菜が声を上げた。 「お礼に何か奢っちゃうね。先輩は何がいいかな?」 制服のポケットを軽く叩きつつ、久留美に質問を投げかける。 ところが、久留美の返した答えは……。 「タラバ蟹の蟹鍋」 高級料理だった。高校生がおいそれと奢れる代物ではない。 「そんな高いもの、あたしのお小遣いじゃ……」 肩を落とす詩菜。ところが久留美はそこへ更なる追い討ちをかける。 「詩菜ちゃんは私のことが嫌いだったのですか?」 「そんな訳ないよ!! でも……」 咄嗟に反論するのだが、その先の言葉が続かない。 言葉に詰まる様子の詩菜をしばし見つめる久留美。と、途端に表情を綻ばせた。 「というのは冗談。本当は詩菜ちゃんの好きなものが食べたい」 ただの冗談だったようだ。 「先輩のいじわるっ」 また頬を膨らませる詩菜。今度は少しだけ本気だ。 が、それを見ても久留美はくすくすと笑うばかりだ。 「さっき、私が困っているのを見て楽しんでいたでしょう? そのお返しです」 笑いを絶やすこと無くそう言う久留美。 「えぇっ、気付いてたのー!?」 詩菜にとってはまったく予想外の言葉だった。 彼女は久留美のことを真面目かつおっとりした先輩だとばかり思っていたが、『計画』が露見していたばかりか、裏をかかれて反撃までされてしまった。 ――やっぱり久留美先輩は先輩なんだね。あたしではまだまだ敵わないや。 心の中で彼女に畏敬の念を示す詩菜。 その様子を知ってか知らずか、久留美先輩は胸を張って言う。 「詩菜ちゃんのことは何でもお見通しです、なんちゃって。さぁ、早く行きましょう」 「え!? あ、はい!」 言って少女は駆け出した。以前よりは少しだけ先輩らしく見える先輩を伴って。 |