みんなの晩御飯
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途絶えることのない局所的地震。 木々も家々も、その軌道上に存在するあらゆる物体を焼き尽くす破壊光線。 現在、このコハマタウン――と言っても規模は村のそれに近い――を一つの生きた災厄とも言うべき存在が闊歩していた。 淡緑色の表皮と、他の部分よりも青みの強い腹部を持ったポケモン、バンギラス。 体長こそ二メートルを僅かに超える程度だが、その戦闘力は現在知られているポケモンの中でも最高峰と言われている。 そのような強大な力を持ったポケモンが暴れているのだ。 当然のことながら周囲に人影はない。ただの一人のポケモントレーナーの姿さえ。 元々このコハマタウンは緩やかに過疎が進行している地域に属しており、若いトレーナーは皆この町を旅立ってしまっていた。 その上幹線道路からも外れているので、立ち寄る旅人も殆どいない。 居たとしたら、里帰りするコハマタウン出身者か、そうでなければ余程の物好きくらいのものだ。 このような町においては、強力な野生ポケモンに対抗する術は皆無と言ってよい。 出来るのは、ただ避難することと、為されるがまま見ていることだけだ。 破壊を繰り返すうちに気が済んだのだろうか。 バンギラスはひとしきり暴れると、山林の中へと姿を消した。 数日後、トレーナーが滅多に立ち寄ることのないコハマタウンに、一人の旅人がやってきた。 十代半ばと思われる少年。腰にモンスターボールが見えることから、彼もトレーナーであることが分かる。 この少年はこの町の生まれではない。つまりは余程の物好きということになる。 「ゴーストタウン……?」 それがこの町に来てからの彼の第一声だった。 ここには活気というものが全くと言ってよい程なかった。在るのはただ破壊された道路や家々だけ。 事情を知らぬ者が、この惨状を見てゴーストタウンと考えたとしても無理はない。 「というわけではなさそうだな」 しかし旅人はその可能性を否定した。 町の入口にある掲示板に、数日前付けの告知を見つけたからだ。 同時にその告知は彼に、この町の荒廃の理由をも教えてくれた。 「つまりコイツが全ての元凶という訳か。見過ごすのも寝覚めが悪いし、修行の相手としても申し分無さそうだから、ここは一つ協力してみるか」 少年は一人納得すると、町の中心部へと向かって早足で歩き出した。 物好きな旅の少年が見ていた告知には、次のような見出しが赤字で大きく書かれていた。 『バンギラス出没注意!』 コハマタウンの中心近くまでやって来た少年は、ようやく彼以外の人間を見つけることが出来た。 廃墟にはおよそ似つかわしくない一人の少女。 年齢は少年と同じかやや下と思われる。 この町に来て初めて人間の姿に少し安堵を覚えるが、すぐに自分の為すべきことを思い出して、少女に問い掛ける。 「済まないが、この町の人間かい?」 「わたし? って、貴方は誰ですか!? いつからそこに!? どうしてこの町に!?」 彼女は少年の問いの内容よりも、むしろ少年の存在そのものに驚愕していた。 「そんなに驚くことはないだろう? それに一度に色々訊かれても困る」 そうですよね、ごめんなさい、と軽く頭を下げる少女。 「いや、謝る必要はないよ。僕の方こそ驚かせてしまってごめん」 少女の謝罪に罪悪感を抱いてしまった彼は、思わず謝罪で返してしまった。 「じゃあ一つずつ説明するな。まず僕のことから」 若い旅人はそこで一息入れてから、自己紹介を始めた。 「僕はケンイチ。職業は旅のポケモントレーナー、でいいのかな? ここへ来た目的は、特にはなかった」 それを受けて少女が返す。 「わたしはマナミといいます。一応は学生だけど、今はあの事件のせいで学校が休校になってて……」 話している内、次第に少女の顔が曇っていくのが、旅人――ケンイチには分かった。 ――彼女にはこれ以上訊くわけにはいかないか。 「済まなかった。僕が立ち入っていい話ではなかったかな」 他を当たるよ、と言い残してケンイチがその場を立ち去ろうとした時、 「待って下さい!」 少女――マナミの呼び止める声が彼の耳に届いた。 歩みを止め、振り返ったケンイチの元に駆け寄ると、マナミは続けた。 「もし貴方さえよければ……私達、いえ、わたし達の町を助けてくれませんか?」 「僕としては構わないよ。それに……」 修行にもなるしね、と言おうとしてケンイチは口を噤んだ。 ゴーストタウンと見紛うばかりの町の惨状、そして先程この少女の見せた暗い表情から察するに、事態はかなり深刻な状況に陥っているのだろう。 余所者が軽々しく『修行のついで』などと言って済ませてよいものではないはずだ。 「それに……どうしたんですか?」 ケンイチの沈黙の意味を理解しかねたのか、マナミが尋ねる。 「いや、何でもないよ。一先ず、詳しく話を聞かせてもらえるかな?」 「はい! でも立ち話はどうかと思いますので、わたしの家に来て下さい。そこでお話します」 僅かだが、少女の顔から陰りが消えた。と、同時に彼女はケンイチの腕を取り、駆け出した。 マナミに連れられて彼女の自宅にやってきたケンイチ。 それは彼の予想よりも大きな、都市部からは姿を消して久しい、伝統的な日本家屋であった。 幸いなことに、この美しい建築物には町を襲った破壊の魔手は及んでいないらしい。 「まずわたしがお母さんに話を付けてくるから、ケンイチ君はここで待っててね」と言い残してマナミが屋内へとその姿を消してから、およそ十分が経過していた。 ちらと表札に目を遣ると、流麗な書体で刻まれた『相模』の文字が見えた。 ――ということは、彼女のフルネームは『サガミ マナミ』になるな。 ケンイチがこのような他愛のないことに思考を巡らせている間に、家族に話を付けてきたのだろう。 再び玄関前に姿を現したマナミが、彼に手招きをするのが見えた。 突然の訪問者に対する相模家の人々――マナミ本人を除けば今は母親と三歳下の弟の二人だけではあるが――の歓迎は極めて温かなものであった。 いや、歓迎と言うと語弊があるかもしれない。 何故なら彼女等の応対は、あたかも長年共に暮らし続けてきた家族に対するそれを思わせるものだったからだ。 事実彼は、丁度昼食時に当たったというだけで、マナミとその母親の手料理まで頂いてしまった。 ――時には帰って親孝行してみるのも、悪くはないかもな。 昼食後の居間。 ケンイチは心地好い場の雰囲気に身を任せつつ、不意にそのようなことを考えていたが、自分がここに来た理由を再確認すると、いよいよ話を切り出した。 「ところでマナミさん。今、この町に何が起こっているか、説明してもらえるかな?」 瞬間、周囲に溢れていた温かな空気が一瞬にして凍り付いた。 当然のことながら、物理的熱学的な室温は一度たりとも下がっていない。しかし、少なくともケンイチには、それがはっきりと感じられた。 「そうだったね。全て話すよ。と言っても、それ程長くはならないと思うけれど……」 マナミの語るコハマタウン荒廃の理由は、要約すると次のようなものであった。 ある時から、コハマタウン付近の山林に一匹のバンギラスが住み着いた。 初めの内は人里に姿を見せることも滅多になく、山中で静かに暮らしていただけであった。 だが先週辺りから状況は急変した。これまで比較的大人しかったこの猛獣が、突然人里を荒らすようになったのだ。 なぜここにバンギラスが住み着いたのか、なぜ今になって凶暴化したのか、理由は全く不明。 更に不幸なことは、このポケモンが極めて高い戦闘力を持っていたことだ。 過疎地域ゆえに若いトレーナーが出払ってしまい、旅のトレーナーも積極的には立ち寄らないこの町において、強力な野生ポケモンに対する策は皆無と言ってよい。 為す術もなく破壊の限りを尽くされ、現在に至っている。 「わたし達に分かるのはこれだけ。参考にはなったかな?」 不安気な瞳でケンイチを見つめるマナミ。 「そいつがコハマの山の何処にいるかは分かる?」 しかし旅の少年はその問いに答えることなく訊き返した。 「分かるには分かるけど、言葉で説明するのは難しいよ。だから……」 「だから?」 言葉での説明が困難となれば、地図でも書いてくれるのだろうか? 少年は彼女の言葉の続きを待つ。 たっぷり数秒後、マナミは笑顔――今日が初対面のケンイチにとっては初めて見るような笑顔だった――になって言った。 「わたしが案内してあげるね!」 まったくもって頼りにならない。 マナミが案内役を買って出た時にケンイチが抱いた第一印象はそれだった。 マナミは優しい。それは疑う余地が無い。 事実、彼女は初対面の自分に、昼食と一時の休息を提供してくれた。 だが彼女は、どう贔屓目に見ても、人の手の加えられていない山野を領分とする人種には見えない。 「道案内ならマナミに任せておけば問題ありませんよ」 「子供の頃には俺もよく姉さんと一緒に山で遊んだんだ」 とは彼女の母と弟の言ではあるが、ケンイチには今一つ信じられなかった。 正確には、彼がマナミに対して感じた第一印象にそぐわなかったと言うべきか。 しかし、この山林に対するマナミの理解は、ケンイチの予想を遥かに上回っていた。 一見すると目的地である山頂から遠ざかるような道を選んでいるようでいて、 その実は崖や谷といった通行不能な部分を避け、それでいて最短で目的の場所へと辿り着くようなルート選択を行っていた。 もっとも、ケンイチには堂々巡りを繰り返しているようにしか感じられず、そのことに気付いたのは山頂付近に差し掛かってからだったが。 マナミの的確なナビゲーションの甲斐もあり、山頂付近のある場所に到着した二人。 そこは木々が無く、ゴツゴツとした岩肌の露出している場所であった。 岩ポケモンでもあるバンギラスの住処としては絶好の場所だ。 「あれが居るのは恐らくあの中だよ……」 マナミは岩肌の中のある一点を見据えた。 ケンイチが彼女の視線の先を追うと、小さな洞穴――とは言っても彼程の身長の人間なら何の問題もなく通れる大きさではあるが――が口を開いていた。 ――町一つを壊滅させるようなポケモンが、本当に捕獲できるのか? 彼はポケットの中にある幾つかの捕獲用ボールを握り締めながら、不意に襲ってきた不安感に苛まれていた。 スーパーボール二個にモンスターボール五個。バンギラス級のポケモンの捕獲に臨むにはあまりにも心許ない装備。 ――いや、もし捕獲できなければ、その時はそれに合わせた対応をするだけか。 だが彼はすぐに思考を切り替え、腰に付けたボールの一つを手に取りつつ、隣に並んで立っているマナミに一言、声を掛ける。 「ここまでの案内有難う。後は僕がやるから、マナミさんは巻き込まれないように先に帰った方がいい」 しかしマナミは首を横に振る。 「ケンイチさんはわたし達の為に戦ってくれるのだから、今わたしが一人で帰ったら駄目だと思うの」 その言葉には決心、と言うよりはある種の頑固さが感じられた。マナミは更に続ける。 「貴方の戦いを見届けさせて下さい」 ――この様子では、言っても聞いてくれそうにはないな。 ケンイチはそれを悟ると持っていたボールからサンドパンを出し、一歩だけ前に進み、振り返ることなく言った。 「分かった。だが、勝てるとは限らない。危なくなったら、マナミさんだけでも逃げて欲しい」 背後から答えは帰って来なかった。 否、無言そのものが答えだったと言うべきだろうか。 彼女の『答え』を確認すると、ケンイチは洞穴に向かい、一歩ずつ歩を進めていった。 やがて洞穴とサンドパンを従えたケンイチとの距離は十メートル程度にまで縮まった。 洞穴内部の様子を伺おうとケンイチが闇の奥に目を凝らしたまさにその瞬間、それは洞穴の内側からやってきた。 周囲の空気を震わせる程の咆哮と、それに続く猛烈な砂嵐。この二つはバンギラスが臨戦態勢に入ったことを意味する。 「正面は危険だ! 待ち伏せて、姿を現したところを叩く!」 ケンイチはサンドパンにそう指示すると、洞穴の出入り口のすぐ横に位置取った。 その直後に洞穴内部からは無数の岩石――恐らくは岩雪崩によるもの――が飛来したが、死角に位置する一人と一匹にはただの一発も当たらなかった。 続けてケンイチが剣の舞の指示を出すと、サンドパンはそれに従って、戦意を高める特殊な舞を舞う。 迎撃体勢は整った。バンギラスが顔を出した瞬間に、その体にメタルクローを叩き込むだけだ。 吹き荒れる砂嵐の為に周囲の音が聴こえ辛くなってはいたが、それでもケンイチの耳には、巨体を揺さ振りながらこちらへと向かってくる獣の足音がはっきりと聴き取れた。 その瞬間を待つこと十数秒。遂に砂嵐の中に推定二メートルを超える者の影が現れた。 「今だ、メタルクロー!」 砂に身を隠しつつ、素早く影に接近したサンドパンはすれ違いざまに一撃、戻る際に更に一撃を加えて主人の元へと帰った。 頑丈な皮膚を持つバンギラスとは言え、剣の舞を舞ったサンドパンから弱点属性攻撃を二発立続けに食らっては、無事では済まない。 だがこの凶暴な野生ポケモンは少々の肉体的苦痛で怯む相手ではなかった。 自身の身体を傷付けた敵の位置を気配のみで察知するや否や、その方向に向けて吹雪を放ってきた。 物理的攻撃を主体とした戦闘がバンギラスの本分ではあるが、非物理的攻撃能力も決して劣ってはいないのだ。 「こんな技まで使えるのか!? 付近の岩に岩砕きを使え!」 砕かれた岩の破片が盾となり、また、砂嵐の中でサンドパンの位置を正確に捉えられなかったこともあり、被害は最小限度で済んだ。 だがそれよりもケンイチは、野生のバンギラスが吹雪などという大技を覚えているという事実に少なからぬ驚愕を感じた バンギラスは通常、技マシン無しには吹雪を覚えない。 主人のいるポケモンならともかく、ただの野生ポケモンがそのような技を使うことなど有り得るのだろうか? だが今、眼前にいるこの獣が少なくとも吹雪を使えるのは事実。 ならば吹雪のみならず、他の技マシンで習得する技をも使用可能だという前提で戦う必要がある。 そう思い直し、同時に短期決戦を掛ける良い手段を探しにかかるケンイチ。 果たして、それは彼等のすぐ傍に存在した。 洞穴の丁度真上に当たる岩場。ケンイチが目を付けた場所はそこだった。 「サンドパン、これからあいつを洞穴の上に誘導する!」 ケンイチは自らのポケモンに、自分の狙いを伝えるや否や、すぐにその作戦の実行に取り掛かった。 彼の定めた『目標地点』誘導方法そのものは単純だ。 ある程度距離を取って挑発、と言っても技としての挑発ではない、を行い、すぐに近くの岩の陰に姿を隠す。 こうするとバンギラスは、攻撃の為に必然的に移動せざるを得なくなってしまう。 そのようにしてケンイチとサンドパンは少しずつ、だが確実に対象を洞穴の直上へと誘導していった。 都合の良い場所に岩がないこともあったが、これはサンドパンが岩雪崩を使うことで容易に解決出来た。 「よし、奴が来るまでの間に、剣の舞を舞っておけ」 バンギラスよりも一足先に、目標地点から少し先の岩陰に到達したケンイチは、サンドパンに更に二度、剣の舞を使わせる。 剣の舞は通常、一度の戦闘で三回が限界だ。つまりこれでサンドパンは自身の能力を限界まで高めたことになる。 岩陰から少しだけ顔を出して向こう側を覗くと、バンギラスが少しまた少し目標地点へと近付くのが見えた。 そしてまさにバンギラスが洞穴の真上の地面へと足を踏み出した瞬間、 「サンドパン、地震を起こせ!」 ケンイチが指示を下した。 剣の舞を三回使用したサンドパンの起こす地震が、地面攻撃を苦手とするバンギラスを、更には洞穴の上に位置する脆い地面をも襲う。 勿論、バンギラスもただ食らうがままになっている筈がない。 跳躍して地震の第一波をかわし、更に着地と同時にバンギラスもまた地震を放って、サンドパンに反撃を掛けた。 が、この行動が不味かった。 サンドパンの地震で緩んだ地面は、この一撃に絶えられずに崩壊を始めたのだ。 崩れる足場に飲み込まれてゆくバンギラス。 ケンイチはその姿を確認すると、サンドパンと共に下のもと居た岩場へ飛び降りた。 この戦いはケンイチとサンドパンの完全なる勝利に終わった。 だが事件そのものに決着が着いたわけではない。 そしてまた、これからが、ケンイチが戦闘前から不安感を抱いていたことの始まりだったのだ。 『野生のポケモンを捕獲する際には戦って弱らせてからボールを投げる』 初心者トレーナーばかりか、トレーナー志望の子供達でさえ知っている、ポケモントレーナーの常識とも言うべき鉄則。 この言葉自体は紛れもない事実ではある。 事実ではあるのだが、伝説のポケモンやそれに匹敵する戦闘力を持つポケモンの場合には、これが全てではなくなってくる。 そのようなポケモンが相手となると、戦闘不能にしても捕獲できない場合が多々あるのだ。 事実ある伝説ポケモン等は、戦闘不能に追い込んで気絶させた上で氷漬けにしてもなお捕獲できなかったという記録がある。 今、ケンイチの手元にあるボールは僅か七個。 手が否応なしに震えてきた。 ケンイチは一旦目を閉じて呼吸を整え、心を落ち着けると、改めて捕獲に臨んだ。 まず二個しかないスーパーボールの一つを、崩れた岩の隙間から微かに覗かせる淡緑色の肌に当てる。 ボールは何度か小刻みに振動した直後、突然開いてしまった。 捕獲失敗。こうなると、もうそのボールは使用不能になってしまう。 続いて五つあるモンスターボールについても、同じ手順を繰り返す。 が、いずれも失敗。振動さえすることなく、ボールから出てしまう。 今やケンイチの頼みの綱は、最後に残しておいたスーパーボールのみとなった。 ――頼む! 捕まってくれ! 祈るような思いで最後のボールに願いを託し、バンギラスの肌にそれを当てる。 一度、二度、小さく震えるスーパーボール。 更に数度、同じように振動する。 ケンイチは、恐らくはこの様子を離れたところで見ているマナミも、その動きが止まる瞬間を固唾を呑んで見守っていた。 そして六度目の振動が収まった瞬間。 訪れた現象はボールの静止ではなかった。 その真逆、気絶したままのバンギラスが最後のボールから出てしまったのだ。 それはつまり、今この場で、この危険極まりない怪物を捕獲する術を全て失ったことを意味する。 今は全身に重傷を負って気を失っているとは言え、いずれは確実に息を吹き返す。 そうなれば、コハマタウンの住民――当然マナミやその家族も含まれる――は恐怖に晒されることとなるだろう。 ――出来ればやりたくはなかったけれど、こうなった以上は仕方がないか……。 だが、ケンイチには万一の場合に備えた最終手段とも言うべき一手が残されていた。 それはポケモントレーナーとしては最大の禁忌とも言うべき行為。 ずばり『殺害』であった。 対象が凶暴な野生ポケモンや、人間に捨てられたが故に人間を憎むようになったポケモンなどの場合には黙認されている場合も多いが、 当然ながら決して印象の良い行為とは言えないし、またケンイチ自身としても極力避けたい手段であった。 しかし彼には、ここでバンギラスを野放しにした後のコハマタウンの、そしてマナミとその家族の未来が、容易に想像できた。 『最終手段』の実行を決意した彼は、この場からまずマナミを遠ざけることから始めた。 彼女には刺激が強すぎるだろうという配慮と、野生ポケモンを手に掛ける自分の姿を見せたくないという思いからだ。 倒れたバンギラスから目を離さぬように後ろに下がり、物陰で一部始終を見ていた少女に話掛ける。 「一先ず勝つことは出来た。この先は見ていて気分のいいものじゃないから、マナミさんは一足先に町に帰ってくれないか?」 マナミとて子供ではない。全ての捕獲用ボールを使い果たしたという事実と、『見ていて気分のいいものじゃない』の言葉から状況を察したのだろう。 こくりと頷くと、一言 「必ず戻ってきてね」 とだけ言い残し、山林の中を町へと引き返して行った。 途中、何度か不安気にこちらを振り返る彼女の姿が見えたが、それも木々に遮られ、やがては見えなくなった。 マナミが充分に離れたのを確認すると、ケンイチはサンドパンと共に再びバンギラスへと向き直る。 地震と地面の崩落と、それに伴う岩崩れのダメージが余程大きかったのだろう。まだ意識は戻っていない。 今なら、サンドパンのメタルクロー数回で首――厚い表皮に覆われていて、一見しただけでは分からないが――を切断できるだろう。 既に覚悟は済ませた。ケンイチは最早迷うことはなく、傍らのサンドパンに指示を下した。 「メタルクロー。狙いはバンギラスの頭部だ」 山頂付近の岩場での戦いから数時間後、マナミは母と共に自宅である相模家で夕食の準備をしていた。 テーブルに並べる皿は自分の分と母の分と弟の分、それにもう一枚。 言うまでもなく、それはケンイチの為に用意されたものだ。 戦いの後で疲れているであろう彼を労う為に、マナミが提案したのだった。 「素敵な案ね。私も今日は腕によりをかけて作ろうかしら」 と、母も彼女の案には大いに賛成していた。 弟もまた同様であり 「ケンイチさんの旅の話が聞きたいな」 などと言って、忙しなく居間と自室を往復していた。 しかし待ち人は午後八時を回ってもまだ帰らない。 普段の相模家では既に夕食を済ませている時間帯であるが、今日は料理に手を付けることなく食卓についているばかりであった。 「ケンイチさん、遅いわね」 壁時計に目を向けながらそう呟く母。 マナミがケンイチと別れる時点で、既に決着は付いていたと言っても過言ではない。 下山の際に道に迷ったとしても、三時間もあれば町まで帰れるはずだ。 マナミはそこまで考えたところで、別れる間際のケンイチの姿を思い返した。 必ず戻ってきてね。あの時自分はそう発言したが、それに対するケンイチの返答は……無言。 表情も何かを決心したようであり、それでいてどこか陰を感じさせるものであった。 ――もうケンイチ君はこの町にいない……? 脳内にあの時のケンイチのイメージを再構築していく内に、ふとそんな予感が頭をよぎる。 無言の返答は、帰るつもりがないということを意味していたのではないか。 悪い予感が確信に変わると、マナミはいても立っても居られなくなった。 「お母さん、ソウタ。わたしケンイチ君を呼んでくるね!」 マナミは椅子を倒しかねない勢いで立ち上がると、取る物も取りあえず、家を飛び出していった。 マナミはコハマタウンの出口を目指して走っていた。 追い付けないかもしれない。だが、僅かな可能性に希望を託して少女は走る。 しかし現実は残酷だ。 彼女の期待に反して、町の出口に辿り着くまで、ただ一人の人間の姿でさえ目撃することはなかった。 町の外の道路は、まばらに存在する電灯の下以外、悉く闇に覆われていた。 当然ながら、夜行性の野生ポケモンも居ることだろう。 そうなればポケモンを持たぬ彼女ではまったくの無力だ。 自身の無力さを呪いつつ、元来た道を引き返す。それが彼女にできる唯一のことであった。 ――わたし達、まだ貴方にお礼の一つも言ってないんだよ? 項垂れたまま町の中心近くまで戻ってきたマナミは、そこで一旦足を止めた。 この場所こそ、あの少年――ケンイチと初めて出会った場所である。 実際にはあれからまだ半日しか経っていないのだが、何故かマナミにはそれが遠い昔のことに感じられた。 何時までもこうしていても仕方がないよね、と思い直して再び歩き出そうとした瞬間。 町の中央に設けられたベンチの一つで、何かがもぞもぞと動いたのが見えた。 ホームレスではない。少なくともこの町にそういう人間はいない。 淡い期待を抱き、何かがいるベンチに近付く。 十台半ばの少年。 ポケモントレーナーの証たる、腰の六つボール。 ベンチに横になって夜空を見上げていた彼は、マナミの接近に気付くと起き上がり、座りなおす。 「マナミさん、どうしてここに?」 状況を把握しきれておらず、驚愕と困惑の入り混じったそれが彼の第一声だった。 しかし彼女はその問いには答えずに捲くし立てる。 「どうして戻ってきてくれなかったの!? 戻ってきてね、って言ったのに……!」 「でも僕は決して褒められる筈のないことをした訳だし、マナミさんや皆に会わせる顔が無いというか……」 最後の方は視線を逸らし、小声になってしまう。 「だから」 「そんなことないよ!」 その続きはマナミの言葉によって遮られた。 「ケンイチ君はわたし達の為に戦ってくれて、実際にわたし達は救われたの。だからそんなに卑屈になることはないんだよ」 彼女の言葉を耳にして、ケンイチは呆然とするより他になかった。 そんな少年の手を取り、再び少女は駆け出す。 先程家を出た時とは打って変わった様子で。 「もうこんな時間になっちゃったね。お母さんもソウタも晩御飯待ってるよ!」 |